東大寺二月堂のお水取り
約1200年余の歴史を誇る東大寺は、大仏(盧舎那仏)を本尊として信仰を集め、奈良の観光においても毎年たくさんの見物客で賑わう事で有名ですが、修二会行法のように、厳しい修行の場としての顔も持ち合わせます。
東大寺二月堂修二会(しゅにえ)
この行法は東大寺の二月堂の本尊、十一面観音に、僧侶たちが世の中の罪を一身に背負い、代苦者、すなわち一般の人々に代わって苦行を引き受ける者となり苦行を実践するとともに、国家安泰等を祈る祈願法要です。十一面観音を本尊とするので「十一面悔過(じゅういちめんけか)」とも呼ばれます。 この行法は、もともとは旧暦の2月1日から2月14日まで行われていたことから、2月に修する法会として「修二会」といいます。現在は太陽暦を採用して、3月1日から3月14日まで二月堂にて行なわれています。 また、俗に「お水取り」とよばれるとともに、今年で1263回目(平成26年)となりますが、開行以来一度も欠かされたことがないので、「不退の行法」と称せられることもあります。
修二会の由来
天平勝宝3年10月東大寺の実忠(じっちゅう)という僧侶が、奈良の東、笠置山中の竜穴の奥から、兜率天というところへ行きつき、そこで生身の観音を本尊として行なわれていた有り難い行法を拝見し、これを地上にうつそうとして二月堂を建て、始められたのが修二会だと伝えられる。兜率天を訪れた実忠はその行法を人間界でも行いたいと伝授を願ったが、天上界の一昼夜は人間界では400年に相当し、人間界では勤めるのは難しいと、たしなめられる。そこで、例えば千べんの行道が必要ならそれを走ることによって時間を縮めて勤める、ということにして許しを得たという。
「お水取り」
昔、実忠和尚が十一面悔過法要中に、全国の神々の名前を唱えて勧請した時、若狭の国の遠敷明神(おにうみょうじん)だけが、遠敷川で魚をとっていたために遅れ参じたので、そのお詫びに遠敷川から水をたてまつる、と言われた。すると、二月堂の下手の地中から二羽の黒白の鵜が飛び出し、そこから霊水、閼伽井水が湧き出し、この泉を岩で囲んで井戸としたのが、今の「若狭井」という。 修二会中の3月12日の真夜中、すなわち13日の早朝、三時頃に二月堂下の閼伽井屋(若狭井戸)から本尊にお供えする香水を汲み上げるための行法が行われるが、これを「お水取り」という。伝説では、この日にしか、お水が湧いてこないと伝えている。
お水取りには11人のお坊さんが出仕します。この11人のお坊さまを「練行衆」といいます。12月に良弁僧正を祀る開山堂でお水取りに参籠する練行衆11名が発表されます。 二月堂修二会別火坊、ここに練行の準備や練習をするために入ります。世間と使う火を別にする生活をするので「別火」といいます。
修二会の行法にはじめて参篭する僧侶を新入といい、新入と新大導師(初めて大導師を勤める僧侶)は他の練行衆よりも5日はやく、2月15日より参籠します。2月末までの期間は戒壇院において試別火(ころべっか)・総別火(そうべっか)という本行までの準備期間にあてられ、多くが暗記で行なわれる声明や所作の練習などが行われます。
- 2月18日、二月堂南出仕口にて修二会の灯明に使う油を計量する「油量り」が行なわれる。量は昔ながらの東大寺升で量られる。この頃より準備に忙しくなってくる。箒作りやしめ縄作りも行われる。
- 別火が始まると荷物が運び込まれ御祓いをして身を清める。
- 別火前半を試別火という。後半の総別火は別火坊内にもしめ縄の結界を張って行われる。
- 試別火は本行に備えての精進の期間であるが、紙衣、差懸などの行中に使用するものの準備や修理、また、「花ごしらえ」といって参篭の僧侶総出で、椿の造花や南天の生け花を作ったり、「灯芯ぞろえ」といって堂内で使う灯芯作りが行われる。またお供えの壇供つきなども行なわれる。さらに、二月堂内陣の掃除、小観音の「御厨子(みずし)洗い」などの他、練行の無事を祈り縁のある諸堂を巡拝したり、「試みの湯」と称して、湯屋で心身を清めたりもする。
- 総別火に入ると一般の人の室内への立ち入りは禁止、練行衆間の私語も禁止される。その日から土踏まずといい別火坊から出ることも許されず(地上におりてはいけない)、各々一層の精進に励む。 2月の末日に別火坊を出る際には独特のしきたりがあり、「てしまの縁断ち(へりたち)」などの後、追い出し茶を飲み別火坊を出て、14日間の二月堂での修二会本行(ほんぎょう)に向かう。
修二会の由来
大中臣の祓(おおなかとみのはらい)
本行の始まる前日の夕刻行われる。俗に天狗寄せとよばれている。 天狗寄せには昔、毎年修二会の始まる頃から天狗が現われ嵐を起こし法事の邪魔をしたので、天狗達を集めて祓い清めたという伝説をもっている。
授戒(じゅかい)
修二会期間中の戒めを確認し破らないように戒める。
一徳火
深夜2時、二月堂では今まで使っていた火はすべて消し、火打ち石で浄火を灯す。修二会中に使うすべての明かりの火種となり、二月堂ではこれを一年間大切に守ってゆく、これを一徳火と言う。
開白法要(かいびゃくほうよう)
1日を六回に分け、この六つの時間に合わせて法要をする。 これを六時の行法と言い、六時の行法のうち、その年の修二会の一番始めに行われる日中の行(3/1早朝)のことを特に「日中開白(にっちゅうかいはく)」といいます。
六時の行法
- 昼間の「日中」(にっちゅう)
- 夕方の「日没」(にちもつ)
- 夜の初めの「初夜」(しょや)
- 昼間の「日中」(にっちゅう)
- 真中の夜の「半夜」(はんや)
- 夜の終りの「後夜」(ごや)
- 夜明けの「晨朝」(じんじょう)
これを3月1日~14日まで毎日繰り返し行うので「六時の作法」ともよばれる。
食堂作法(じきどうさほう)
食食事は1日1食しか正式にはとることができない。すべて精進料理で、皆のための祈りを捧げた後、無言で食事をする。食事を終えた練行衆は食堂退出の際、碗ぬぐい紙に包んだご飯を向かいの若狭井の屋根に向かって投げ、生飯(さば)として鳥たちにも分け与る。昼ご飯をとると、一日の行が終わるまで水一滴すら飲めない。
三度の案内
「お松明」の前に、小さな「ちょろ松明」を掲げ、参篭宿所と二月堂本堂の階段を三度駆け上がる。
- 一度目は時刻を聞きに上がる。(時香の案内)
- 二度目は堂内の準備が整ったかを確認するとともに、練行衆が上がっていく事を予告する。(用事の案内)
- 三度目は練行衆が上がっていく事を知らせる。(出仕の案内)
お松明(おたいまつ)
練行衆の初夜上堂の時、大松明は毎日10本ずつ上げられる(3/12は11本)。これは14日間(3/1~3/14)毎日続けられる。
初夜上堂の時、大松明は毎日10本ずつ上げられる。(3/12は11本)これは14日間(3/1~3/14)は毎日続けられる。
走りの行法
天上界の一昼夜は娑婆世界(この世界)の四百年にあたるといわれ、走らねば追い付けない仏の世界に身を持って体当りする難行苦行である。
咒師作法
心身を清め行法にはげむ場は清らかでなければならないとして、魔や鬼神の侵入を防ぐ咒師作法がつとめられる。
小観音(こがんのん練行)出御
修二会の本尊の観音御輿を迎える作法。安置され香炉、灯明、餅等が供えられる。
3月12日には「お水取り」が行われますが、奈良では「お水取りがすまないと春が来ない」といいます。このため、「修二会(お水取り)」は春を呼ぶ行法としても知られています。
東大寺・二月堂のその他の行事は東大寺公式ホームページをご覧下さい。
752年に実忠和尚というお坊さんによって、建てられましたが、1667年に焼失。その2年後に4代将軍徳川家綱によって再建されましたお水取りの舞台となる場所です。
猛々しく燃えるお松明と神秘的なお水取りで行事は最高潮の賑わいを見せます。水の祭りであるとともに、火の祭りでもある修二会には、籠松明はなくてはならない主役のようなものです。